著者:平川克美
発行元:ミシマ社
ご自身の父親の介護体験から思い至ったことを中心に話は進められていきます。
父親がいた頃は毎日介護をしながら食事をつくり、身の回りの世話をして、日々をなめらかに誰かのために、誰かと一緒に暮らしていた。
そこには在る種、自分をつなぎとめる関係性があった。
しかし、父が亡くなり食事を作る意味を失った途端に自炊することをやめてしまった。
それはなぜか?
ここから平川さんの独特な論が進められていきます。父を失い、家も会社も失って、借金も返済した。そこにはもはや自分をつなぎとめる「負債」は何もなかった。
現在の社会は等価交換の原理が強くはたらき、お金で何でも買える。
交換することができるという信憑が世界を覆っているかに見える。
しかし、本当はそれだけではない
あえて「負債」を負うことや与えることで
つながっている関係性もある。
お祝いに対する半返しや、常に関係が対等に均衡しないように精妙に作られたマナー。
お金で交換できない価値を持ち合い、常にどちらかが多く持っていたり、どちらかが足りない状態にある。
そんな関係が本当は日常をなめらかに回している。
すべてが一対一対応で進むわけではない。
教育もその一つです。
親は子に将来この投資を返してほしいと考えて教育するわけではありません。
自分たちがいなくなっても自立し、楽しくこの世界を生きてほしいと考えて挨拶やマナー、儀礼や勉強を通してこの世界の成り立ちを教えるのです。
そこには親から見れば返されることのない、
子供から見れば返すことのできない非対称的な関係性が生まれます。
家族というこれだけ身近な関係性においてさえ「負債」が発生する仕組みを人類は古くからとっています。
現在のお金がすべての価値観はもしかしたらそんなに長く続くものではないのかもしれません。資本主義でもなく社会主義でもない。あたらしい世界のあり方が今後この100年の間に生まれてくるのではないかと私も思います。
現在の世界に、社会に
なんだか少しズレを感じるなと
感じている人にはとてもオススメの一冊です。
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